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総合整体院 コンフォート

総合整体院 コンフォート

治療歴3

本書に開高健「夜と陽炎耳の物語」の引用が有った。

『疼痛が総蜂起を始めた。某夜ふいに右半身が板を張ったみたいに硬直して息も出来なくなった。そうかと思うと、正午過ぎに芽を出した疼痛がじわじわ広がって夕刻には半身不随になり、夜になるとズボンを脱ぐために身体を曲げることもできず、息をつけないというところまで落ち込んだ。苦痛に耐えて息をつこうとすると、それが針を刺したように全身にひびいて、息を止めるしかない。徹夜でまんじりともできなかったことが有り,丸々一昼夜にわたって苦しめられたことも有った。そんな激痛なのに医学的には何もないと言われる。

荻窪の東京衛生病院のアメリカ人のカイロプラクティックの医者も、人間ドックの精密検査の先生も口をそろえて、内臓、筋肉、骨、関節、どこも悪くない、故障は無い、というものだった。

台風の去った後、あれは風だったと言われるようなものである。そして療法としてはエクササイズ有るのみです。水泳がよろしい、とかいって釈放された。』

彼女は

症状が有って、医学的には何もないと言われ、運動を勧められる。私と同じようなケースの方がほかにもいたのだとと確認するだけでわずかに救われる。

重症の腰痛に長く苦しみ、その末に治った人の体験談が、私にとって何よりの慰めと励ましになった。苦しみが長いほど、そして完治したケースほど好ましい。

と書いている。

その後、自らの酷い腰痛を一回で治したと言って、カメラマンで映画製作会社の社長、金田一正根氏の紹介で中国針に行った。

翌日効果が出ると言われるも何変化もなかった。

10月に東京に住む兄の五十嵐均から、横綱曙の主治医と言う別の鍼灸医、劉勇先生を紹介され、マッサージと気功、鍼灸の施術を受ける。水泳は身体を冷やすと禁止され、4回の開腹手術が良く無かったとも言われる。

その日は奇跡が起こったと思うぐらい体調が良かった。しかし、翌朝もう一度治療を受けるも、夕方からあの痛みが戻ってきた。

しばらく東京に滞在劉氏の治療をしばらく受けることにした。

その間、比較的良好な状態が続いたが、仕事で上京した夫と一緒に福岡に帰る朝になって痛みがぶり返した。

結局、元の木阿弥であった。

思うに、気功の中川先生の時もそうだったが「大変な名医」といった触れ込みがあると、こっちが暗示にかかって、一時的に治ったような気になるのかもしれない。(勿論、本当に治る人もたくさんいるのだろう)

ともかく世に病人が多いと同様に、さまざまの「大変な名医」もまた大勢いるのであった。私はそのことに追々気付かされていく。



確かにプラシボー効果はこのような症状には大きな効果が期待できるように思う・・・




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